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執筆者の写真AKIRA INOUE

思い出の車(前編)

2023年も終わりに近づいてきた。

1月に1個記事を書いたが、なんとなく内容がまとまらないのでお蔵入りさせてしまった。

その後、SNSそのものから距離も開いてしまい、あれほど熱心にFBなどに投稿していたのが嘘のように、SNSとの関わりが薄くなってしまった。


先日、車を変えた。

それまで7年間MAZDAにお世話になってきたが、いよいよ足回りなどにガタが出てきてしまい、やむなく入れ替えとなった。

コンパクトカーだと13万キロで色々出てくるようだ。


8月くらいから色々なサイトを見て車を物色していたが、どれも決め手に欠けていて、

購買意欲すら徐々に落ちていき「ま、あと2年乗って次の車検で乗り換えかな」などと

思ったくらいだ。そして10月の後半に近所で行われていた「中古車市」を、

これが最後と思いながら期待せずに覗きに行った。


そこで内装が綺麗で価格や性能面で希望に合致する車を見つけた。


スバルの車だった。


実はスバルには少しだけ思い入れがある。

父親が乗っていたのだ。

その車は「スバル レオーネ」

自分の記憶にあるのは、このレオーネを2台くらい乗り継いでいる時だが、実は結婚前にスバル360に乗っていて、父は20年くらいスバルユーザーだった。


自分が高校生時代、父親が古臭いレオーネで迎えにくるのが少し恥ずかしかったが、

今思えば良い思い出である。

我が家の車は「スバル」が当たり前になっていて、子供の頃から刷り込まれているせいもあり、少しだけ思い入れがある。


時が経ち免許を取得し、自分で車を運転するようになり、車が欠かせない生活を過ごす中で、ある時、衝撃的なビデオを友人から見せてもらった。

それがWRCと呼ばれる世界トップカテゴリーの自動車レースだった。

1990年代は三菱・トヨタ・スバル・日産・スズキなどの日本車が多くレースに参加しており、外国メーカーも合わせると相当数のワークスがあった。

その中で、三菱はギャランVR4。スバルはレガシィ、トヨタはセリカで参戦していたが、

後に三菱はランエボ、スバルはインプレッサと車が変わった。


記憶は曖昧だが、その頃スバルワークスはコリン・マクレーという選手がインプレッサをドライブしていた。チャンピオンブルーの車体に「555」の黄色のロゴが貼られたボディは、一際カッコ良く見えた。


マクレー選手のドライブは豪快なドリフト。横転しても諦めない走り。

全てが衝撃的だった。

ニューマシンであるインプレッサをこれでもかと振り回し、ライバルと凌ぎを削る戦いにすっかり虜になった。


父親が乗っていたスバル レオーネ。

マクレーがドライブしていたスバル インプレッサ。


この2つの理由で、スバルは自分にとって少しだけ特別なものになった。



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